大きな、大きな筍を何本かいただいたので、あく抜きをせっせとしました。
せっせとした、という表現を無意識に今していました。
ということは、あく抜きは生活の一番ではなく、まだまだ頑張らないとやれないことであるということを表していて、私の生活では筍を食べるということは、まだ日常化できていないということですね。
ただ旬の食べ物を戴くということは、日常の延長線上にいながら、「非」日常感まではいかないまでも、どこか「異」日常感を味わえるものだと毎回咀嚼しながら思うわけであります。
お店で過ごす時間も、「非」日常感までいかないまでも、「異」日常感を感じるとなんだか嬉しくなります。
お店を始めるときに、妻と話していたことを思い出しました。
お店で過ごし外に出ると、背筋がなぜかしゃんと伸びて、少し軽快な気持ちになっている、そんなお店にしたいと。
筍がそんなことを思い出させてくれました。
ただカイロの先生に言われたことも思い出しました。
私の腰周りの筋肉は固まって、筋肉ではなく、繊維質になっていると。
筍だけに…
続く。